「人生の目的」を探していた私
みなさんは、人生の目的を考えたことはありますか?
私は昔から「人生の目的」や「生きる意味」について考えることがよくありました。
周りの子が楽しそうに遊んでいるときも、ふとした瞬間に「人は何のために生まれ、何を残していくのだろう」そんな問いが、心の奥から湧いてきました。
大人になるにつれて、その問いは少しずつ形を変えながらも、どこか満たされない感覚として残っていました。
たしかに、日常は忙しく、仕事にもやりがいがあり、それなりに幸せに暮らしていたと思います。
でも、心の奥ではずっと「私の人生って、これでいいのだろうか」「何かをもっと変えなければならないのではないか」そんなモヤモヤを抱えていました。
見えない空虚さと、本当の自分とのズレ。
その違和感にどう向き合えばいいか分からないまま、私は日々をただこなすように過ごしていたのかもしれません。
ヨガとの出会い
そんなときに出会ったのが、ヨガでした。
最初は「痩せたい」「体を引き締めたい」という、ごくありきたりな理由で、近所のヨガスタジオに通い始めました。
けれど、マットの上で呼吸をする時間は、私にとって思いがけない心の休息だったのです。
ポーズをとるたびに、普段意識していなかった体の声が聞こえてくる。
呼吸を深めるごとに、いつのまにか気持ちが穏やかになっていく。
先生の何気ない一言が、なぜか心にすっと染み込んでくる。
正解もゴールもないヨガの時間は、やがて他のどこにもない「安心できる場所」になっていきました。
いつも「何かを変えなきゃ」と焦っていた私に、「今のままでも大丈夫」と静かに教えてくれるような――
そんなヨガとの出会いは、少しずつ、しかし確実に、私の心も生き方も変えてくれたのです。
ヨガを学び続けて見えてきたもの
ヨガには、生き方に通じる哲学と、迷ったときの道しるべがあります。
たとえば「手放すこと」「受け入れること」「いまこの瞬間を感じること」。
これらは、人生のどこかで私たちが必要とする教えだと思います。
そして、ポーズの上達や知識の習得を超えて、自分が本当に大切にしたいものに気づかせてくれる時間でもあります。
その気づきによって、自分自身にやさしく接することができ、目の前の人を笑顔にできる。
そんな生き方こそ、ヨガを学ぶ一番のギフトなのかもしれません。
ヨガで広がる笑顔の循環
ヨガを学び、人に伝えるようになってから、私の中に少しずつ芽生えた想いがあります。
それは、「目の前の人の笑顔を広げたい」ということ。
インストラクターとしてクラスを始めたころ、「ありがとう」「気持ちよかったです」と笑顔で言っていただけることが、こんなにも嬉しいとは思ってもみませんでした。
表情が少しやわらぎ、ふっと笑顔になる瞬間――
そのとき、胸がいっぱいになるような多幸感が広がるのです。
ヨガは、人に与えることで自分も満たされる、そんな美しい循環を教えてくれました。
私は人を変えるような大きな力は持っていないけれど、目の前の人の「今日」に笑顔をもたらすきっかけにはなれる。
その積み重ねこそが、私の人生の意味であり、目的なのだと思っています。
わたしの夢 ― 笑顔で輝いて生きる人
ヨガは、「本来の自分自身に戻る時間」です。
生きていれば、他人や環境の影響により「本当の自分らしさ」を見失いやすくなります。
本当の自分は何をしたいのか、どう生きたいのか。
自分にとっての幸せとは何なのか。
ヨガの時間で、普段意識しない体・呼吸・心の動きを深く観察し、ヨガ哲学を通して先人たちの教えを学ぶ。
その練習を重ねることで、次第に自分の心に正直になれ、自分が一番笑顔で輝く生き方が見つかっていきます。
私がヨガを通して届けたいのは、知識やテクニックだけではなく、「自分にとっての幸せに気づくこと」。
その幸せに気づき、自分の人生を生きていける人は、笑顔で輝いています。
そして、その笑顔がまた誰かの笑顔につながっていく――
この循環が広がっていけば、これほど嬉しいことはありません。
みんなの拠り所をつくる
将来は、木の温もりを感じられる古民家を使って、小さなヨガ教室を開くことが夢です。
畳の上にマットを敷き、障子から差し込むやわらかな光のなかで、自然とともに呼吸を整える時間。
ヨガのあとには、みんなでお味噌汁を飲んだり、旬の食材で手料理を楽しんだり。
心と体をリセットし、本来の自分に戻れる場所――
ただ「ヨガをする場所」ではなく、自分と向き合い、人と深くつながれる拠り所のような空間にしたいのです。
そこに集う人たちが、日常に戻るとき、自分らしく笑顔で過ごせたら、それだけで嬉しい。
ヨガ、食、暮らし、そして出会い――
すべてがゆるやかにつながる、そんな居場所を育てていきたいと願っています。
ナマステ🙏
真実
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